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おうちをしょってあるこうよ!徒歩日本縦断

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旅のいきさつ

8月の中頃…こちらの準備も整い富士山近くのその学園の寮へと出向いた。

他の旅のプロのボランティアスタッフや職員や子供達はすでにみんな集まっていて友人のJ氏以外は初対面である。徒歩日本縦断が終わってから髪を切っていない私はブログのアバターの裏の画像にあるとうりでしてどう見ても旅人には見えなかったようでみんな「えっ、なんかの間違いでは…」とも思ったらしい。旅人と言うよりパンクベビメタ系?


学園の先生方との打ち合わせによるとメンバーはみんな女子中学生のみで5人で1グループでそれに職員と旅人が1人付く。それを1分隊として5グループで1小隊。それにサポート専門の乗用車が追走する。とは言っても3000km級を歩いたのは私とI氏のみで後は皆初のロングウォークだ。大丈夫か〜。

今までは夏は単なるキャンプだったけど新たに長期バックパッキングをする事になったいきさつは子供達の常に指示待ちになる体質やちょっとでも壁にあたるとすぐに大人に頼る体質…そういった面を自発的計画自発的実行による旅を行い遂行する事で自分で計画を建て自分で行えるようになる事…

みたいな事らしい。

ここの子供達は皆寮生活をしていて様々な理由から親と一緒に生活ができずにいる。

また学園自体がいわゆるあっち系の所でどうしても子供達を甘やかしてしまう傾向が強い。

そこでそれを打破すべく夏のこの行事が計画されたと言うわけだ。

その第1回目…

何が起こるのか誰にもわからない。

しかも恐ろしい事に当の子供達には400kmを歩くとは教えずにキャンプに行きますと言って糸魚川に連れて行きそこで初めて行事を公表するという…

そんなのありか?

まぁ一応テントやシュラフは車のサポートが運搬して我々は最低限の物だけ背負って歩くだけ…

それなら大丈夫か…

とこの打ち合わせの時は思ったけど糸魚川に移動してからの最終ミーティングで驚愕の決定が…

>続く

# by カジュール | 2009/11/25 12:58 | 糸魚川〜諏訪〜東京 | Comments(0)

徒歩日本縦断…その後の旅

徒歩日本縦断が終わりバイクで秋の北海道を旅したあと個人経営でやっているカー用品ショップ(タイヤとエアロ)の店員ではあるけれど比較的スムーズに社会復帰する事ができた。

工場勤務と違い同僚は車好きの同年代ばかりだし「まぁこういうのも悪くないな…もう旅はいいか…」とも思い始めていた。

そうして一年位が過ぎた。

ところが大型激安店の地域開店の打撃を受け零細企業はいとも簡単に倒産…つうか社長が負債抱えたままとんずらしてしまいかろうじて入っていた雇用保険のお世話になる事に…

しかしここが旅人の馬鹿な所。

俗にいう失業保険ツーリングを敢行する事になってしまった。(2週間ごとに帰らなければいけないが…)

しかし屋久島や九州を旅して壱岐に向かうのに山陰を走行中バイクが焼き付いてしまい旅の継続が不可能になり結局は途中帰宅と相成った。

帰宅すると一通のハガキが友人からきていた。(今の時代と違いEメールはない)

それによるとボランティアではあるがなにやら子供等と長期間バックパッキングするにあたり徒歩旅経験のあるスタッフを求めているらしい。

バイクが壊れた事による予定外の帰宅で転がり込んできたこの話…

偶然か?

必然か?

ともかく自分の経験が役に立つならと思い参加する事にした。
そのボランティアにはまだ日にちや時間がだいぶあるのでバイクもなくなった事だしソレのウォーミングアップも兼ねて徒歩日本横断を敢行する事にした。コースは糸魚川→諏訪分水嶺→浜松とフォッサマグナに沿ったものだ。

実はこの旅は全く記録が無い。
一枚の写真すら無いのだ。

距離的には500kmくらいあるんだろうけど楽しくも無く辛くも無く、だだ新調した靴が足に合わず痛かったのだけは強烈に覚えている。またザックをグレゴリーのフレーム式に替えた。コレの方はかなり具合が良かった。総重量が重くても腰や背中が痛くなる事は無くバックパッキングに求められるバランスや重心位置は登山のソレとは全く違う事を痛感した。

そんな感じで徒歩日本横断をしたあとボランティア開始までにバイトで小銭稼ぎをして1996の夏にそいつは始まった。

一人ではない旅…

他の人が決めたコンセプトのある旅…

実はコレが精神的に非常にキツい旅になる事はこの時は知る由も無かった。

# by カジュール | 2009/11/10 09:20 | 糸魚川〜諏訪〜東京 | Comments(0)

後記A羅臼にて

1994年晩秋の羅臼から

徒歩日本縦断が終わり帰宅後、すぐに車SX200に乗り北海道へと旅だった。

そうしてしばらくが経ち現在北海道羅臼町国設野営場でこれを書いている。

徒歩日本縦断が終わり約1ヶ月が過ぎたけどなんだかずいぶんと遠い過去の事のように感じる。
あれは本当に自分自身だったのだろうか?

今にして振り返ると体力的な面は問題がなかったけど、それよりも出発するまでのコンセントレーションを高める事の方が大変だった。

3000kmを全部あるく。

これは考えただけでぞっとしてしまう。

やる気だけではなかなか行動に踏み切れない。

だだひたすらにやるしかないんだと自分自身を追い込む日々が続いた。そしてやらなければならないんだという理由を無理やり作って自分を説得したりもした。だからもう一度やってみろと言われても自分自身を納得させるだけの理由や状況が無い限りおそらくは出来ないと思う。

今回の旅は「旅の究極」に少しでも近づくというのが当初の目的だった。けど実際に3000kmを歩いてみて解ったのはむしろ自分自身だった。

それもいい所じゃなく悪い所ばかりが解った。

直ぐに弱音をはく自分
直ぐに物に頼ろうとする自分
卑しく醜い自分
人の目ばかり気にする自分


でも人の優しさを知った自分もいた。

道中では見ず知らずの人から本当に多くの親切を受けた。ジュースをもらったり車に乗っていかないかと声をかけられたりと日記には全て書かなかったけどそんな事がたくさんあった。世の中まだまだ捨てたもんじゃないと思った。そしてこの恩は私が見知らぬ旅人へ接する事によってのみ返せるのではないかと思った。

徒歩日本縦断をした事によって何が変わったのだろうか。

そして何が得られたのだろうか。

人が目的(目標)に向かって一生懸命になり頑張る事はとてもいい事だと思うのだがそれが達成された時の賞賛がなければ心に溢れるのは静かなる虚脱感…その達成にかけた時間や犠牲にしたものが大きければ大きい程「本当にこれで良かったのか」という嫌悪感におそわれる。

こんな事をしても何の役にも立たないのではないだろうか…

いや、そんな事はあるまい。10年20年がたち辛いことがあった時日本縦断の事を思い出せばあの時の自分が励ましてくれる…かもしれない。

そんな自分の前を行く自分が生まれただけでもやったかいがあったと信じたい。

# by カジュール | 2009/11/02 08:43 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

自己顕示欲

帰路にて(当時の日記帳より)


ロッキーの旅のスタイルに学ぶ

今回の徒歩日本縦断において最も考えさせられた事がある。それは秋田県で出会ったロッキーの装備になぜカメラが無いのか?という点だ。サンダルやラジオはあるのにたかが200g〜300gのカメラを何故に装備から省いたのだろうか?7kgの装備が7.5kgになっても全く歩きには支障がないと思うのに何故…

日本縦断をしている最中はそんな事考えもしなかったけど宗谷岬のバス停でふとそんな事がきになった。

写真を撮り記録(日記も含めて)を残すという事は旅が終わって後で思い出しやすいように…つまり自分の思い出を形にするというのもひとつの目的ではあるけどもう一つには誰かに知ってもらいたい、見てもらいたい、わぁ〜いいなぁって言ってもらいたい、すごいなぁとほめられたい、という他人に評価して欲しいという気持ち…自己顕示欲の表れからくるものなのではないだろうか?特に徒歩日本縦断のような一生に一度するかどうかの大きな旅においてはなをさらだろう。


人は誰でも自分を良く見て欲しい、一目置いて欲しいという気持ちを必ず持っている。

旅とは本来自分の為にやるものであり他人の為に行う物ではない。また決して誰かに自分を認めさせるためにする物でもない。あくまでも自己の向上と追求…創造に終始するものではないかと思う。

つまりその目的の為には記録写真を残すカメラは不要という事だ。


「そーゆーことか…」


確かに自分の記録を残さないのはわからないでもないけど道中で出会った人の写真もないというのはさみしいものだ。それを承知の上で記録無しの旅をするのは実に決心のいる事だと思う。

即ちロッキーはカメラを持たない事により自分自身から自己顕示欲を排除したのではないだろうか?

この事に気付いた時はさすがに愕然とした…。

私のこの4ヶ月間はなんだったんだ。

でもそれに気がついただけで良しとすべきか…

徒歩日本縦断においてそれを実践したロッキーにはホントに頭が下がる思いだ。

そして思った。

徒歩日本横断手ぶらの旅。むろんカメラも持たない。日記もつけない。これが出来た時きっと私からも自己顕示欲をなくせれるかもしれない。

《これがずっと引っかかっていて記録を出す事に抵抗がありましたが今の夢の無い時代だからこそこんな旅もあるんだよという気持ちが高まりあえて公開にふみきりました》 

>続く

# by カジュール | 2009/10/29 11:48 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(1)

北海道行程図

徒歩日本縦断最後のステージ北海道の行程図です。


# by カジュール | 2009/10/28 10:38 | 映像記録 | Comments(0)

ひとりのゴールじゃなかった

9月5日

>>>前回からの続き


そうこうしているうちにバスの発車時刻が近付いてきた。

ロッキーの伝言を捜すのをほとんど諦めかけた時ふと何気に目線が天井に向いた。そしてバンドエイドで張り付けてあるメモ書きを見つけた。そこには〇〇君へ(←私の名前)と書かれていた。

「あった〜!」

思わずそう叫んでしまった。はっきり言って日本最北端の碑に触れた瞬間より感動したよ。きっとその紙から見つけてくれ〜って念が出ていたんだね。


『〇〇君へ。日本縦断おめでとう。僕は8月20日に西大山駅を出発して56日目に稚内駅に到着しました。本当にお疲れ様。』

とそのメモ紙には書かれていた。


たったひとりのゴールインじゃなかった!


この時ようやく徒歩日本縦断が終わったんだという実感がこみ上げてきた。


そうこうしているうちにバスの出発時刻がきた。

私は余韻に浸る事もなくそのバスに乗りこの地を去った。


9月5日歩行距離6km

合計3069km 

期間1994年4月23日⇒9月5日

靴⇒3足使用


>>後記へと続く 

今まで訪問し続けてくださった方々〜ありがとうございました。感想質問はお気軽にどうぞ。これから長期バックパッキングをしたいという方…力になります。

>>後記〜徒歩日本横断〜女子中学生達との400kmの徒歩旅〜四国88箇所お遍路さんとこれからも更新いたします。

# by カジュール | 2009/10/28 10:15 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

ここで折り返す人も…

9月5日


前回の続き>>>


一息ついてから宗谷岬バス停兼休憩所へ行った。

そこには昨夜ここで泊まったチャリダーとライダーとJRラーの3人がいた。

「おはよ」
「あれ…歩きですか?」
「うん、九州からずっと歩いて来たんだけど…」
「徒歩日本縦断ってやつですか」
「そう、そう」
「お〜っ、すげぇ〜こーゆー出会いがあるから旅はやめられないんだよな〜」


こんな感じで旅の同志等と挨拶を交わした。

そしてロッキーのメッセージを捜した。

《去る8月8日にロッキーと別れる時に「稚内駅まで行くんならついでに宗谷岬へも行ってみたら…岬に旅人には有名なバス停小屋があるから何かメッセージとか残してきてよ」というような約束をしてあったのだ》

しかし、いくら捜しても見つからない。

小屋の壁という壁は全てその類の落書きだらけでどれがロッキーの物か全くわからない。ナンチャンを探せ風に言うとレベル3000だ。ひとつひとつ隅から隅まで…それこそテーブルの裏まで捜してみた。けれど見つからなかった。

「もしかしたら時間が足りなくてココまでは来なかったのかもしれないなぁ。ロッキーの旅は最南端の駅から最北端の駅までだから無理にココへ来る必要はないもんな…」と思った。

始発バスの時間は6時58分…

これに乗って帰路につくつもりだ。

なぜかあまりながいしたくはなかった。

なぜだろう?

バス停の壁の落書きの中にはこんなのもあった。

「徒歩日本縦断完了しましたがまだまだ旅を続け南下して日本を一周します」

ちょっとショックだった。

もしかしたらこの旅人と同じように徒歩日本縦断⇒徒歩日本一周というふうに出来ない自分を旅の舞台から早く降ろしたかったのかもしれない。

>>>  続く    >

# by カジュール | 2009/10/27 16:00 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

宗谷岬

9月5日  

宗谷港バス停を夜明け前の3時30分に出発。真っ暗な国道238を歩き宗谷岬を目指す。天候は路面が濡れない程度の霧雨だが風がとても強く傘が壊れてしまいそうだ。昨夜あれほどやんでねとお願いしたのに…なかなか激しい旅のラストだ。演出としては悪く無いのだが…

空が少しづつ明るくなり完全に夜がいなくなった頃、日本最北端の地「宗谷岬」に到着した。
ひとけは無くただ風の吹き荒れる音と波のしぶきの音だけが聞こえる。

誰もいないたったひとりのゴールイン。

だれにも見届けられる事の無いゴールイン。

長かったのか…

短かったのか…

そうしておもむろに日本最北端の碑に手を触れた。

1994年9月5日5時00分

この瞬間に徒歩日本縦断132日間3069kmの旅は終わりを告げた。

思った程感動は無かった。

涙なんてこれっぽっちも出やしない。

なんかとてもあっさりした感じでもう荷物を背負って歩かなくてもいいのか…という思いだけが脳裏をよぎる。

「終わった…なにもかも終わった…」


カメラのセルフタイマーを使って一人で自分の写真を撮ったあとパンを食べながら缶コーヒーを飲み最北端の碑をながめながら一息つけた。感慨深いものがありそうだがいまいちゴールしたという実感が湧いてこない。何故だろう…。


そうして一息ついてから対面にある宗谷岬バス停兼休憩所へ行った。

>>> 続く


# by カジュール | 2009/10/27 13:33 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

嵐の夜

9月4日 

昨日はどうも稚内市のすぐ近くまで来ていたようで出発後すぐについてしまった。旅の最後には風呂くらい入りたいところだ。風呂の件を地元の人にきいてみると10時〜11時にはやっているよとの事だったのでそれまで待つ事にした。

暇つぶしに稚内駅に来てみた。
ここでお土産等を買って自宅へ送った。後で自分で配ってあるく訳だ。そうして駅の待合室で漫画など読んで時間潰しをしていると大学生くらいの人に声を掛けられた。

「歩いて旅をしているんですか」
「ええ…徒歩日本縦断ってやつです」
「へぇ…すごいですね。僕も昨日ここから宗谷岬まで歩いて行ったけどすごい疲れましたよ。もう足に豆ができちゃって今でも痛いです」
「うん、そうだね。最初はみんなそんなもんだよ。自分だって始めの1ヶ月は毎日のように針で豆を潰して痛いのを我慢して歩いていたよ。今はもう平気だけどね」

彼はJRの青春トクトク切符を使って北海道をまわっているんだけど有効期限が2週間しかないのであまりゆっくりできないとボヤいていた。

そんな感じで話をしているうちに11時30分になりせっかくだから一緒に銭湯へ行く事にした。
が、行ってみると風呂屋のオヤジに「このあたりはみんな16:00からだ」と言われてしまった。いくらなんでもそんな時間までは待っていられないので風呂は中止に。日本縦断の最後くらいさっぱりして迎えたかったんだけどなぁ…仕方ないね。

「じゃあ僕はこれでいきます。それじゃあ!」
「きをつけて!」

JR旅の大学生と別れ市内で昼食をとり宗谷岬へと歩きだした。

今日中に宗谷岬へ行こうと思えば充分間に合うんだけど敢えて宗谷港までの予定とした。何故かと言うと感動のゴールが観光バスと団体客に揉まれあの岬のテーマ曲がボリューム全開で流れる中では風情のかけらもないからだ。それで時間調整をして人気の少ない早朝にゴールしようという訳だ。

でもね…

ホントはゴールした時にもし涙が出てしまっても誰にも見られる心配がないからなのさ。

途中で雨が降り出したけど宗谷港へは19時30分に到着。当初宗谷公園にテントをはるつもりだったけど雨だし気がすすまない…。と、どうぞお泊まり下さいとと言わんばかりのバス停が目についた。これはありがたい。雨の日はこれに限るね。

最後はバス停泊

しかも外は嵐に…

朝にはやんでね。


歩行距離21km 合計3063km


# by カジュール | 2009/10/26 11:38 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

変わらぬ景色

9月3日  

7時00分、やはり稚咲内は早朝に着いてしまった。ドライブイン開店まで待っても仕方ないので取り敢えずここで休憩をとり行動食を食べた。ついでに歯磨きやら洗顔もしてきれいサッパリ!

9時30分、かれこれ2時間以上歩いているけど全く景色が変わらないので歩いていても位置が移動していないのでは…という感覚になる。左に見える利尻島の位置が近付いている事でのみ移動を確認する事が出来る。

この青い空と何も遮るもののない草原&湿地を歩き続けていると心の中も何か無になっていくような気がする。ガードレールのない道を100km/h以上の速度で走る車とすれ違っても既に何も感じない。ふとはじめ人間ギャートルズのエンディングのあの唄を思い出した。

14時00分、浜勇知に到着。ログハウス風の休憩所にてやや遅い昼食をとる。これにてオロロンライン通過。しかし長かった。バイクや自転車で感じる広さとはケタが違う。たかが時速4km/h…されど時速4km/。より速ければ良いとされる今の時代遅い事の良さは見落とされがちだ。この速度だと地べたをせっせと歩くアリや飛び回る蝶達の様子や草原の植物の変化、また空気の変化や微妙な風まで感じ取る事が出来る。それに歩きだと交通の流れに乗る緊張感も要らず大変にリラックスして原野を歩く事ができる。いや、車の存在など眼中になくなったと言った方がより真理に近いかもしれない。

オロロンライン

徒歩日本縦断ラストステージにふさわしい所だった。

17時00分、抜海まで来たけどこれといって泊まれそうな所が無いので暗くなってしまっても良いから稚内市街地方面へ行ってバス停小屋にでも泊まる事にした。

18時30分、あたりは真っ暗になり街灯のある所以外は何にも見えない。バス停も肝心の小屋が無い。

「こんな事なら無理して来るんじゃなかった」と思っても後の祭。

19時30分、しばらく行くと町営球場の看板をみつけた。困った時はいつもの球場頼みだ。そちらへ向かう。

着いてみると夜なのに人が多い。球場のすぐ横のテニスコートでは女子高生が夜練をしている。

「う〜む」

きゃ〜、なにあれ!などと叫ばれそうで余り気がすすまないけどすでに歩く体力は残されていない。ここでゲリキャン(ゲリラキャンプ)するしかないので街灯の当たらない隅っこの方でこっそりおうちをたててこっそり夕食をとった。

歩行距離45km 合計3042km

# by カジュール | 2009/10/22 12:21 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

オロロンライン

9月2日 

5時30分 遠別道の駅裏のキャンプ場を出発。今日と明日で今回の旅のクライマックスともいえるオロロンラインルートへと入る。

10時30分に天塩町に入ってのすぐのドライブにて野菜炒め定食を頼んで朝食兼昼食をとる。弁当等ではどうしても揚げ物ばかりになってしまうので外食の時は出来るだけ野菜を採るようにしている。

12時00分、街を抜けいよいよオロロンラインへと入る。これでおよそ70km区間は食料と水の補給は断たれる事になる。稚咲内にはドライブインがあるらしいけど明日の午前中には通り過ぎてしまうだろう。背負った2日分の食料と水の重さがかなりのもので荷物を100g単位で軽量化したのが馬鹿らしく思えてくる。

13時00分、天塩川を超えた先の道はひたすら真っ直ぐで手売国道みたいなアップダウンもなく先が霞んでみえる。先に何か目標となる物がみえているのに歩けど歩けど一向に近付いていてこない。広すぎる。今は歩き旅のノウハウが充分にあるから平気だけどもし南下ルートを採用していたら素人状態でいきなりここに出くわす訳であり、そうなると初っ端からいきなりアウトだったかもしれない。

15時40分、北緯45度を越えた。ここまでの間まったく景色が変わらずにまたこれからも変わりそうにない。道はどこまでも真っ直ぐでやっぱり先が霞んで見える。早く次の街に着かないかなぁとかあの先はどんな景色なんだろうなんて全く考える必要がない。そんな事は考えるだけ無駄なほど広いのだ。

17時20分、日没迄にはまだ時間があるけど明るい内に稚咲内に着きそうにないので右手の牧草地にてキャンプする事にした。夜歩くのは危険そうな道だしね。「えっ?牧草地で?」と思われるかもしれないけど見渡す限りそうなんだからそこしかない。
いつもの事ながらキャンプ地が決まりザックを降ろすと「やった〜今日はこれで終わりだ〜」とほっとする。

でもザックを降ろしても重みが肩に残っていてなんだか体がまっすぐになっていない感じがするし背骨も痛む。

それでもトラブルでも起きない限りあと2〜3日でその日はやってくる。

まだ宗谷岬が見えないせいかもしれないけどもう少しで徒歩日本縦断が終わるという実感が湧いてこない。

いや…。

もしかしたらその実感を感じたくないのかもしれない。

歩行距離40km 合計2997km




# by カジュール | 2009/10/21 18:23 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

ほんとうのとき

9月1日  

17時00分遠別にて、

今朝は5時00に出発しただけあって日没前に遠別に着いた。羽幌からここまでの手売国道は初山別村市街地以外は草原の中の何も無い道がひたすら続いているだけ…。先の見えない坂道をグイッと登りきるとまた同じような坂の景色が目の前に現れその坂を登るとまた…

それを何度ともなく繰り返す。
最初のうちはそれを苦痛にすら感じたけどやがてそんな気持ちは無くなり何か安らかな大きな大地に抱かれているように感じるようになった。それは単なる諦めの気持ちじゃなくてむしろ何もないという考え自体が間違いである事に気が付いたからだ。


日本海から吹きつける風

静かに波打つ海

草原を飛び回る虫達

果てしなく広がる草原


それらは総て自然から与えられた時間の速度を決して超えずにいる。

その中を自然に存在する速度で歩く自分。

そう…

今、私は自然界の刻む時間(とき)の流れに調和している。

溶け込み一体化している。

その時私は本当の時間(とき)というものを垣間見た。

本当の時間(とき)或いは刻とは時計の刻むそれでは無いという事…

徒歩日本縦断中、三つ目のウロコが確かに落ちた。


歩行距離40km  合計2957km


手売国道



# by カジュール | 2009/10/18 17:03 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(1)

浜辺に生きる猫

8月31日  

6時30分、昨夜は深夜から雷雨となりテント内に浸水して来たけど余り気にせずに寝た。雨が降ってもいつかはやむ。晴れたら乾かせばいい。4時頃には起きて雨の止むのを待っていたけどその気配は無いので撤収を開始して6時30分には合羽を着てキャンプ場をあとにした。

10時00分、小平町花屋家番屋にて休憩をとる。ザックがいつもより重く感じられてなんだか疲れた。肩がとても痛くてショルダーベルトをずらしながら歩いたけど効果はなかった。ビタミン入り飲料とカロリーメイトで人間の燃料補給を行った。

15時00分、苫前町上平のドライブインにて午後の休息。昼過ぎあたりから肩の痛みはそれ程辛くはなくなった。あとゴールまで200kmを切ったので気が抜けてしまったのだろうか?時々稚内まで〇〇kmと書かれた看板を見かけるようになり旅の終わりを実感させる。

17時30分、苫前町市街地の食堂で夕食をとる。もうすぐ日没で暗くなってしまうので急いでキャンプ適地探しをしたい所だけど今日中に羽幌まで行っておかないと明日の工程がキツくなるので夜も歩き続ける事にした。
20時00分、そうして2時間程歩いて羽幌に到着。地図を見るとキャンプ場があるらしいのだが暗くてどこにあるのか全くわからない。仕方ないのでバス停泊のつもりで街中を歩いて行くと

サンセットビーチまで200m⇒ 

という看板があった。「まぁ200m位なら一応様子でも確認してみるか」と余り期待せずに寄ってみた。

するとそこは海水浴場で水洗トイレと街灯照明もありゲリラキャンプ適地だったので今日はここで終了にしておうちをたてた。

20時30分、おうちをたててトイレに行ってみると前で猫が三匹にゃあにゃあと鳴いている。なんだかとてもお腹がすいている様子だったので朝御飯用のパンをちぎって与えると猫達はフンニャフンニャとそれをガツガツ食べた。お腹がすいているとき食べられない時の辛さは良くわかる…

そうだ!食える時に食っとけ!

猫に話かけた。

その後おうちに戻るとさっきの猫達が寄って来て私の近くで手を舐め始めつかず離れずにウロウロしている。またパンが欲しいのだろう。
「しょ〜がないね〜」
残ったパンをあげると猫達は旨そうに食べてやがていなくなってしまった。今までの私なら現金なやっちゃな〜と思ったけど今はそうは思わなかった。

歩行距離40km 合計2917km




# by カジュール | 2009/10/16 13:41 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

望洋台キャンプ場

8月30日   

12時30分、朝5時30分に除雪車車庫前を出発して10時40分に留萌市のローソン横のドライブインにて野菜炒め定食を注文し昼食とした。24時間以上ぶりのちゃんとした食事でめちゃうまく感じた。やっぱりパンやらカロリーメイトでは食べた気がしないもんね。

食事後すぐに歩きだし昼過ぎには海へ出た。後はずっと海岸線沿いの道だ。

もう峠を越える事も無い。

危険なトンネルを通る事も無い。

稚内はもうすぐだ。

なんだか旅の道中での出来事や出発前に友人達に見送られた時の事を思い出した。

ずいぶんと前の事のように感じる。

長かった…

ホントに長かった…

残すところはあと約一週間。もう終わりは見えてきた。事故に遭わないように気を引き締めてもう一踏ん張りだ。


21時00分、17時30分に小平町でお弁当を買い2km歩いて望台キャンプ場へと来た。料金は\500と北海道としてはちと高いけど一度位キャンプ場を利用しないと北海道らしくないのでまぁバイクの旅人との団欒代と考え受付をした。

宮城県から来たゼファーの〇〇氏、それとGPZ900Rの〇〇氏達と挨拶した流れで同席し夜9時頃まで旅やバイクの話をした。でも周りの人達はすぐに寝てしまったようなので少し迷惑だったかな?でも9時までだったら悪くないよね。

歩行距離29km 合計2877km

# by カジュール | 2009/10/15 12:29 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

ハズしにハズしてさまよって…

8月29日  

18時30分、いやいや今日は参ったよ。久々の大ハズレだよ。国道275を歩いてきて233号との交差点に15時00頃着いてちょうどセブンとコープがあったんだけど今日のキャンプ予定地の森林公園まで10km以上あるし途中ドライブイン位在るだろうから外食にでもしようと思い何も買わなかったんだけどそれが運の尽きだった。

その交差点から留萌方面に進路をとり美馬牛峠付近でドライブインを発見!けど近付いて見るとそこは既に潰れた店だったのだ。あてがハズれた。

「が〜ん、まっいっか!峠下駅まで行けば公園位あるだろうし店の一つ位あるだろ」

と気を取り直しさらに先へ行く。2kmほど行って森林公園の下に着いたけどその場所には見事なまでに何もなくて峠下駅周辺にも何もなかった。また森林公園へも林道をずっと登って行かなければならない。食料なしでは行く意味が無い。こうなると一気に疲れが出て来る。

う〜腹減った。

一応非常食としてカロリーメイト、ポケメシ(シリアル)クッキー6枚がある。が、今日は昼は無いも同然だったのでちゃんとしたご飯が食べたいところだ。

そこで次の東幌糠駅まで行くもそこにも何もなくて更に幌糠駅まで進んでやっとドライブインがあったけどなんとすでに閉まっていた。駅は青空駅で駅宿もできずキャンプ適地も無く飯も無い。

はぁ〜なんか気が抜けてしまったよ

取り合えず体力的に限界に近いのでそのドライブイン横の除雪車車庫前に腰を下ろして休憩をとった。ザックを下ろしてジュースを飲んだら疲れが一気に出てきた。

もう今日はいいや!

ここはドライブインの駐車場ではないんだし文句は言われまい

という事で車庫前にテントを張ることにした。

夕食は非常食のみ。まぁほとんどお菓子のようなものである。
歩行距離41km 合計2848km

# by カジュール | 2009/10/14 13:35 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

出逢い、女性サイクリスト

8月28日 

11時00分、10分程前に休憩しているところを挨拶を交わしたMTBの女の子が後ろから追い付いてきた。DAYバッグ一つの荷物だけどどうも道内の人とは思えない。
「日帰りのツーリングかい?
」と声を掛けた。すると自転車から降りて歩きながら「いや、泊だよ。ユースとか」と彼女は言う。

「あの…、ずっと歩きなんですか?」

「鹿児島の佐多岬からずっと歩きだよ。徒歩日本縦断ってやつだね」

「ここまで何日位かかりました?」

「う〜ん、停泊とか多かったし始めは少ししか歩けなかったからね。4ヶ月位かな」

「一日にどれ位歩くんですか?」

「最初は20〜25km位だったけど今は40kmは歩くよ」

などといったお決まりの質問に丁寧に答えた。ほかは本来はバイク乗りである事やなんでこんな徒歩日本縦断をやろうと思ったのかを歩きながら話したりした。
なんだかんだと30分以上は歩きの私に付き合うような形でその彼女も自転車を押して歩いた。今日の宿泊予定のユースまであと100kmは走らないといけないとの事なのでここいらで別れる事にした。

「せっかくだから記念写真でも撮ろうか」

「そうだね」

写真が出来たら送るから住所とか教えてもらえるかな」

とお互いに住所交換をする。旅人はたいてい知り合った人の住所を書いてもらうお友達ノートやメモ帳を持ち歩いているものだ。
写真を撮った後もまたまた話ながら歩いた。向こうからは別れをきりだしにくいのかもしれない。

「まだたくさん走らないといけないみたいだからこの辺りで別れようか。ずっと付き合わせてごめんね」
「ううん、いろんな話が聞けて楽しかったよ。宗谷まで気を付けて行ってくださいね」
「うん、そっちもね。北海道の車は飛ばすから…」
「じゃあね」
と言って彼女は走り出した。後ろ姿に向かって「バイバーイ」というと彼女も振り返り「バイバーイ」と返してきた。


「また1人ぽっちか…」

17時00分、滝川市に到着。買い足しを済まし歩いて行くと菊水公園というのがあったけど小中学生がたくさん遊んでいてキャンプ出来る雰囲気じゃないので裏手の堤防を越えて河原の方へ向かってみた。するてそこは見事な芝生の広い公園が整備されていた。国道から離れていて静かだし人通りも少ない。今日はここにおうちを建てる事にした

歩行距離35km 合計2807km

こんな感じで30分以上は歩いたかな↓



# by カジュール | 2009/10/13 19:37 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

意外?雨の中の撤収

8月27日 

8時00分、外は雨だ。でも食料もないし雨を避けられる建物やあずまやもないし停泊という訳にはいくまい。

8時30分、まだ雨は降っている。いつまでもウダウダしていても仕方ないので徒歩日本縦断始まって初の雨の中のテント撤収をした。今までは朝に雨がやんでないときは運良く停泊向きの場所だったからね。今日は途中で温泉にも寄る予定なので余り無理せず行けるとこまででいいだろう。

15時30分〜16時30分、当別町中小屋温泉(\350)に入ってそのあと温泉前のコンビニで買い足しをする。時間的にみて月形までは厳しいのでいつどこでも野宿が出来るように食料の確保だけはしっかりしておいた。これは昨日の教訓だ。

17時30分、国道275を歩いてゆくとなにやらレストランのようなウッドハウスが見えてきた。が、それは良く見ると月ヶ岡駅だった。まだ新築されたばかりのようで大変綺麗だ。水洗のトイレもある。もちろん無人駅だ。

「う〜む」あと一時間もすれば暗くなってしまうし、これ以上先へ行っても泊まれるポイントは無さそうなので今日はここまでにしておいた。やはり早めに食料調達をしておいて正解だった。



歩行距離26km 合計2772km

# by カジュール | 2009/10/13 04:43 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

自転車は速いな〜

8月26日 

6時00分、まだ車の少ない朝の国道5号線を札幌方面へ歩いて行くと、後ろから来たママチャリに乗った高校生風の旅人にす〜っと追い越された。
「ん?なんだありゃ」
ライダーだって徒歩の私にピースサインを出してくれたりするのに同じ人力移動者でこんなに触れる位の側を通っておきながら知らんぷりとは…「やつは自転車じゃないから違う」とでも思っているのだろか?或いは道路ばかりみていて私に気が付かなかったのか?(そんな事はあるまい)



11時00分、札幌駅に近付いてくると何故かチャリの集団が増えてきた。ぷ〜太郎がそんなにつるむとは有り得ないので夏だしきっと大学なんかのサイクリング部だろう。
その中にはすれ違い様に「頑張って下さい」と激励してくれる人もいた。そうしてあっという間に見えなくなっていく。

「自転車は速いな…」

17時30分 今日の野宿予定地江別市新石狩大橋へ到着。綺麗で広い芝生の公園があるのだが如何せん食料が全く無いのだ。10km手前にコンビニがあったけどどうもそれがラストの店だったようで買い足しタイミングの読みがハズれたようだ。今日はまだ一食しかたべてないのでとにかく何か食べたい。
取り合えずばテントを張り荷物を放り込み江別駅方面へ行ってみる。2〜3kmいくと交差点の所に食堂があったのでその店に入り野菜炒め定食を注文した。一息つけてまたその距離を歩いておうちへ帰った。
徒歩旅だとちょっとでも買い足しタイミングを間違えるとこういう目にあってしまうのだった。

歩行距離38km 合計2746km

# by カジュール | 2009/10/12 11:30 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

人は人、自分は自分。

8月25日 

11時30分、小樽の少し手前の目立たない食堂で昼食をとった。店内は少し狭くいかにも大衆食堂という感じだけどそれ故に気兼ねせずいられる。店のおばさんに「よくここがわかったねぇ、誰かにきいて来たのかい?」と言われ、今徒歩日本縦断をしている所で、たまたまここを見つけたと答えた。そうして帰り際に缶コーラを一本もらった。「もう二度と逢うことはないかもしれないけどこれも何かの縁だねぇ」と言われた。そうするとまた来てやるぞと思う私はひねくれ者?

14時00分、小樽運河に寄ってみた。当然の如く国際的観光地で人が多い。団体、ファミリー、外国人、カップル…そんな中にあって長期野宿徒歩旅行者はいくら自分では小綺麗にしているつもりでもやっぱり浮いてしまっているだろうか?

いや…

そんな他人にどう思われているのかなんてくだらない事は考えるのはよそう…

人は人、自分は自分。


18時30分、銭函のセブンイレブンで夕食の弁当を買った。この時点ではあたりは真っ暗になっていた。今日のキャンプ地はまだ決まっていない。いやいや困った。困ってしまってがどうにかするしかない。テントのはれそうな公園を求めて市街地方面へ行ってみたけどそれに適した場所はみつけられなかった。やはり暗くなってしまっては駄目だ。再び国道5号へ戻り札幌方面へと歩く。

20時00分、暫く歩いてゆくと町の体育館がありその横が公園になっていた。ラッキー。早速おうちをたて冷めてしまった弁当を食べて缶酎ハイを飲み即バタンQ〜。いや〜今日も疲れた。
このように夜になってしまっても結構平気でいられるのはあの80km夜中行軍のおかげかもしれない。あれに比べたらこんなの屁でもないもんね。

歩行距離40km 合計2708km

# by カジュール | 2009/10/12 08:27 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

仁木町の子供

8月24日 

16時00分、仁木町を歩いているとたまたま学校帰りの小学生の男の子が反対側から横断歩道を渡ってやってきて歩いて行く方向も同じだったので同じふうに並んでしまった。歩くスピードも同じくらいでいつまでも経っても並んだままだ。お互いに無視しあっても変なので私の方から声をかけた。山陰や北陸では子供に指を指されたり逃げられたりしているので余り良い思い出が無い。

「学校の帰りかい?どこまで帰るの?」
その子供は
「うん、あそこに見える赤い屋根の家」
と言って前方を指差した。てっきり以前のように怪しまれてまた逃げて行ってしまうかもしれないと思っていたのに会話が続いて驚いた。土地柄、普段からバイクやチャリやバックパッカーの旅人を見慣れているせいかな?
私は今現在州から稚内までを歩いて旅している事や東京の事なんかを話してあげた。(私は千葉在住だけどね)東京首都には大きな山や畑も無い。雪が5〜10cmも積もったら交通がパニックになってしまう事を話してあげた。
子供は「え〜っ!」とびっくりしていた。

そうこうしているうちにその子の家に着き「じゃあね、バイバーイ」と言って別れた。

こんな小さな出逢いも歩きの旅でなければまず無い事だろう。


歩行距離40km 合計2668km

# by カジュール | 2009/10/11 04:24 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

雷電

8月23日 

9時00分、国道229号沿いの願扇寺の掲示板に今日の一句としてこう書かれていた。

「逆境ほど偉大なる教育者はいない」

全くそのとうりであるけれど社会生活からはみ出し旅をしている私はそれに該当するだろうか?そうは言えないだろうな…。しかし社会人だろうが旅人であろうがそれが自分が選択した道ならば大変でも逆境とは言わないのでは…?ならば逆境とは何ぞや?災難の事?ひねくれてるかな私…。

13時30分、国道229号雷電エリアはトンネル区間が多くある。それらは道幅が狭くもちろん歩道も路肩もない。距離も長く内部には照明もない。そこを大型トラックやら観光バスが猛スピードで通り抜ける。で、私はそこを通る以外に道は無い。トンネル内でトラック同士がすれ違う時はもうギリギリでその時に歩行者が存在できるスペースは無いのでその時にそこへ居合わせないように祈りつつ歩く。。もしドライバーが気付いてくれなかったら死あるのみである。

しかしであるラッキーな事に一番長いトンネルは内壁塗装の為相互片側通行になっていていくらかは安全だった。

いやはや危ない危ない。

14時30分、

狭いトンネルの右側を歩いていて前から大型車が来る時に時折よけてくれない時がある。気付いていないのか?見切ったいるのかは判らないけどそのすれ違いの時の心境は電車と電車のすれ違い様にその間に立っていれのと何ら変わらない気がする。本気で遺書が必要かもしれない。もうトンネルは嫌だよ〜!

17時00分、岩内町に到着。朝昼とたいした物を食べていないのでとても疲れた。岩内に着いたなんて誰にも言わない…。うわ〜余計に疲れた〜。サッサと寝るとこ見つけよ。


歩行距離35km 合計2628km

# by カジュール | 2009/10/10 17:49 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

砂嵐の夜が明けて…

8月22日 最高気温34℃!

4時30分、昨夜は就寝してから突如として物凄い風が吹き荒れてテントの外は砂嵐状態に。トイレに出る事すら躊躇してしまうくらいでテント内でひたすらにじっとしていた。(出ると体が砂まみれ&テントが飛ばされる)砂嵐の中のテント撤収はいやだな〜と思っていたけどその風も明け方には止んでくれた。

18時00分、道道19号を通って寿都湾へと出た。朝はパン食で昼はカロリーメイトだけだったので夕食は豪華に食堂で外食にした。やはり北海道は買い足しポイントが少ない。

日没まではあと30〜40分あるけど無理に歩かなくてはいけない状況でもないので朱太川の河原にてキャンプインとした。

近くには綺麗なバス停小屋もあったのだけど中は蒸し暑くて先客の足長蜘蛛さんがいたのでやめにしておいた。

歩行距離33km 合計2593km

# by カジュール | 2009/10/10 14:14 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

危険なR5

8月21日 

18時00分、今日は長万部のキャンプ場泊を予定していたんだけど辿り着く前に日没になってしまい予定変更してドライブイン通りの裏側の砂浜にてキャンプする事にした。

ここまでは主にR5を歩いてきたんだけれど直接ばかりで見通しが良いとはいえこれが意外に危険だった。

歩道がないというのも理由の一つだがなにしろ車が飛ばしすぎなのだ。しかも歩行者である私を全く避けようともせず50cm間隔くらいでかすめるように追い抜き又はすれ違って行く。特に大型トラックや観光バスにそれをやられたひにゃ風圧で体が木の葉のように舞ってしまう。これが一日中続いて良く生き残れたと思う。

とばすのはしたかないとしてももう少し間隔をあけてくれ〜


北海道を歩く場合、その広さよりも自動車中心の交通が一番の問題点かもしれない。


歩行距離35km 合計2560km

# by カジュール | 2009/10/09 23:22 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(2)

速度の代償

  8月20日 


数十年の昔、日常の生活に疲れ疑問を感じた若者達は生活に必要な僅かな道具を背負って自らの足で旅に出た。まだ道路や街ががそれ程整備されていなかった頃はさぞかし大変な旅だったろうと思う。

そして現在はその二本の足が二つの車輪になり自転車やオートバイで走るようになった。自転車なら1日に100〜130km。バイクならその2倍3倍の距離を一気に移動してしまう。特にバイクだと一般道を走っている時などは周りを見ているようでも殆ど何も覚えていなかったりするし、走っている限り出会いも何も無い。

そう…速度の代償として大切な物を失ってしまったのだ。しかもそれは旅の本質でもある。

手段の為に目的を見失い、場合によってはその見失っているという事自体に気づいていない。

私はオートバイ日本一周が終わった時「むむむ…コレは違う。旅ってこうじゃないぞ。もっと他に何かあるはずだ」と思い徒歩日本縦断に踏み切った。

最初はバイクの力を借りずとも自分の力のみでも旅の一つや二つは出来るぞ。という思いで始めてみたけれど徒歩の旅はやってみると思っていた以上に奥の深いものであった。


歩行距離37km 合計2525km

# by カジュール | 2009/10/08 17:32 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(2)

夜中に無人駅でたむろする高校生等に…

8月19日 

6時30分、函館行きのフェリー《ばあゆ》に乗船。旅人ならわかると思うけどこの北海道上陸というのは何回経験しても感慨深いものがある。北海道の広大な大地はバイクや自転車といった機動力があれば楽しいものであるけれど1日に40kmがやっとの歩きとなると不安が募るばかりである。でも、いままでだってどうにかしてきたんだから何とかなるだろう。

16時30分、まだキャンプ地は決まってないんだけど大沼の簡保センターにて風呂に入った。きれいさっぱりになって再び歩き出す。今日は駅宿を予定している。これから帰路へつくと思われるライダーが沢山函館方面へと走ってゆく。みんな顔で徒歩の私にもピースサインを出していってくれる。さすがは旅人のメッカ北海道だ。あんまり飛ばさず安全運転で帰りつく事を願う。

18時30分、駅宿予定の駒ヶ岳駅到着。待合室には数人の高校生(おそらく間違いない)等がタバコを吸ってたむろしていた。
一瞬「おっ!」とたじろんだけど彼等の中の1人が「旅をしているんですか?」と声をかけてきた。
  「バイクですか?」
  「いや…」
  「自転車?」
  「いや…歩いて来た…」
  「どっからですか?」
  「佐多岬から」
  「???」
  「州の一番下だよ」
一同「おお〜っ!」
     と、いった具合に意外とすんなり打ち解けられた。そんなに悪い奴らじゃなさそうだ。しばらく話をしたあと彼らは帰っていった。

今日はここで駅宿である。

歩行距離32km 合計2488km

# by カジュール | 2009/10/07 14:05 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

工程図東北



# by カジュール | 2009/10/07 14:03 | 映像記録 | Comments(3)

工程図新潟



# by カジュール | 2009/10/07 14:01 | 映像記録 | Comments(0)

本州ラストウォーク

8月18日 

20時30分大間港にて

 朝は9時00に薬研キャンプ場を出発した。昼食は大畑町の食堂でとる。薬研〜大間は約40km。キャンプ場連泊で体がなまってしまったせいか風間浦村を過ぎる頃には暗くなってしまった。それでも歩き続けて20時00分に大間港に到着。午前2時出航の夏期臨時便があったんだけど1日違いでそれはなくなっていた。そんなわけで通常便の6時まで待たなくてはいけなくなった。取り敢えずは寝る事にしよう。ターミナルは閉まっているので港の少しはずれにテントを張った。

明日はいよいよ北海道入りか…
歩行距離40km 合計2456km



# by カジュール | 2009/10/07 13:55 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

国設薬研キャンプ場

8月15日〜8月17日 

停泊

8/15 5:30 雷の音で目が覚めた。激しい雨音を聞きながらテント内でコレを書いている。周囲のファミリーキャンパ−からは絶叫の声があちこちから聞こえる。何組かのファミリーはこのどしゃ振りの中で撤収をしだした。こういう激しい雨はそう長く続くものではないのでジタバタしても始まらない。ひたすらに待ってじっとしているのみである。だいたいシロートさんはテント張る場所が良くない。いくら平らだからって凹地はいかんぜよ。


ロッキーに会ってその装備を手本にザックを60Lから30Lの小型の物に替えてから体の痛みが続いているので装備はそのままにザックを元の60Lに戻す事にした。よくアウトドア誌などには荷物の量に合ったサイズのザックでなければいけないとか書いてあるけどそれを実践したらかえって状況が悪くなった。やはり60Lザックの機能性は荷物量が少なくとも必要な物だったようだ。自宅へ連絡して60Lザックをここのキャンプ場へ送ってもらう事にした。

歩行距離 なし
合計 変わらず

# by カジュール | 2009/10/05 09:31 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)

予約がないと飯も食えぬ?そんなバカな?

8月14日 

むつ市運動公園にて出発前。

8時00分、旅人(バイクやチャリ)の中にはいつしか徒歩の旅をしてやろうと思っている人は少なくひないと思うんだけど実際にやってしまう人は少ないだろう。全ての荷を背負い何ヶ月も歩き続ける事がつらく厳しいであろう事を想像するのはたやすいし、当然こんな事を一緒にやろうなんて人はまずいないから一人でやらねばならず誰の助けも得られないしお金も時間もかかる。特に時間は学生ならいざしらず社会人ともなると何ヶ月もの時間をあける事は退職を意味する。

はたしてそれだけの価値があるのだろうか?

これは人によりけりだろう。歩く必要がある人は誰に言われずとも資金時間をどうにか工面して実行するし、その必要が無い人はどんなに暇とお金があっても決して歩きはしない。



10時30分、恐山にて 

やや早いが薬研までの15〜20kmの山岳ルートは食事ポイントが無いのでここで食事にしようと思い恐山レストハウスへ入った。すると客は一人もいないのに予約がないと駄目だと断られてしまった。胡散臭いな〜。確かに長期徒歩野宿旅行者の見てくれはその筋の方と見分けがつかないからねぇ…。まぁこんな事は今に始まった事じゃないから別にいいけどね。

仕方ないので在庫食料のハムを食べて一気に薬研キャンプ場まで行くことにした。昼御飯はハムのみ…。

12時00分、山岳ルート道中はハエやらブヨやらがずっとまとわりついて来てほうっておくと目に飛び込んで来るしコレがえらい精神的ダメージを与える。
しかも進むにつれ数が増えてくる。ボロボロのバックパッカーの周りを虫が無数に周回している様はまるで漫画でカッコ悪いの限度を越えている。
「くそ〜てめぇらいいかげんにしろ!」
ついにこちらも反撃にでる。首に下げていたタオルをヌンチャクのように振り回し歩き続けたら虫はいつの間にやらいなくなっていた。一応勝利したのかな?

16時00分、ヘロヘロになりながらもいつも来慣れた薬研キャンプ場に到着した。知人も何人か着ているようだ。いつもだったら歩き終わった後はグロッキー状態なんだけど知人の前ではそんな素振りは見せられない。
「へへっ、全然平気さ」
と元気に振る舞う。

けど本当はチョ〜疲れていたよ。

歩行距離25km 合計2416km

# by カジュール | 2009/10/05 08:24 | 徒歩日本縦断本編 | Comments(0)
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最初の野宿徒歩旅はいきなりの3000km…。毎日が試行錯誤の連続。まだ携帯も無い1994年に敢行したその旅の記録。順次更新中です
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