by med‐LIBRAN since 2006/11/23
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こんにちは。LIBRANです。
看護教育の世界では「感性」は教育出来るのかということが時々話題になります。 看護師は相手の気持ちを感じる能力が職業的に必要であると言われています。 これって看護師でなくても必要ですが、最近の若者は人間関係が希薄で相手がどう思うかを想像することが出来ない人が多いとも言われています。 看護師を目指して学校に入る人のほとんどは、人の役に立ちたいとまではいかなくても他者の世話をする仕事を選んで来ています。 ですから相手の気持ちを想像することは看護師という選択をしていない人よりは能力がある人が多いと思っています。 しかし。 自分よりも年齢的にも先輩である人の、しかもまったく体験したことのないような、人生を左右する大きな問題に直面している方の気持ちを想像することは本当に難しいことです。 基礎教育の現場ではそういったことも教育しなければならないわけです。 残念な事に評価するのは難しいので、知識と技術がある程度習得できていれば卒業して国家試験も受けられます。 では、どうすれば感じるとか想像する力を教育できるのでしょうか。 人間にはもともと相手の気持ちを感じる力はあると私自身は思っています。 ですから、感性は教育するものではなく「開かれる」ものだというスタンスです。 何らかの理由で閉じられてしまっている感性を開くには何が必要なのだろうか・・・と考えるところです。 先日、北海道に行ってきました。大自然のなかで、普段は感じることのないことをいろいろと感じる体験をしました。 なかでも「自然のなかにある緑色っていろんな緑色があるんだな〜」と無意識に独り言を言ってしまった時には自分でも驚きでした。 普段は同じ植物を見ても何も思わない自分と比べると、そのときの私の頭の中は「からっぽ」でした。 目の前にあるその緑の存在だけがそのときの私のすべてでした。 感じる力は心のゆとりと思考のコントロールなのかしら。 そのときその場で必要のないことを頭の中から排除する。 関心を持つ対象に自分自身のすべてを傾けること・・・かな? などなど考えた北海道での出来事でした。
お久しぶりです。LIBRANです。
またまたブログの更新をしておらず、お叱りのお言葉をいただいております。 私のブログを楽しみにしてくださっている皆様、申しわけありません。 さて、最近、中途採用のナースのキャリアカウンセリングを立て続けにさせていただいています。 前回のブログにアップしたのは新人ナースのことでしたが 中途採用のナースの場合はちょっと違う様です。 やはり新しい環境に対する「適応能力」と自分自身の「問題解決能力」が大きく関係していそうです。 看護師の場合、新卒で就職した後、定年まで同じ病院に勤め続ける方はほんの一握りだと認識しています。 例えば結婚、出産、育児や進学など人生におけるイベントを理由に退職される方は多いかもしれません。 実はその職場から離れたいことかもしれませんが。 そして新たな職場に移るわけです。 新しい職場に入ってまず考える事は前の職場との違いです。 黙って様子を見る方もいれば、前の職場が働きやすかったり、 キチンとしていたことに改めて気付きながら現在の職場批判に走る方もいらっしゃるわけです。 そこが運命の分かれ道。 どちらにしても始めは新しい人間関係に慣れるよう、受け入れて貰えるように、ちょっと緊張しながらいろんなことに我慢していますから、徐々にストレスがたまってくるものです。 そしてそのストレスをどのようにして解消していくか。 そこが、分かれ道になるのかもしれません。 相手を批判して自分を保とうとする場合もあるわけです。 ストレスコントロールと言えば、看護師の間で有名なのは、ラザルスのコーピング理論です。 問題中心型と情動中心型の対処があると言われています。 思い出しますか? 情動中心型の自分の感情によって対処するのか、 問題中心型の自分が働きやすくなるためにはなにが出来るのかを考えて対処するか、 自分がどちらを使っているのかを気づくことによって、なにかしらの解決が考えられるかもしれません。 自分自身で気づくのは難しいものです。 客観的に話してくれる、友人や上司、先輩がいるとうれしいですね。
こんにちは。LIBRANです。
皆様、ご無沙汰しています。 暑い日々が続いておりますが、元気にしていますか? さて、4月から入職した新人さん達は5ヶ月が経過しようとしています。 みなさま頑張っているのでしょうか。 看護師の新人職員は入職後3ヶ月、6ヶ月、1年で辞めたくなる、または、本人にとって辛い時期を経験すると言われています。 小さなターニングポイントの連続です。 3ヶ月のターニングポイントを過ぎたところですね。 「あのころは辛かったけど、無事乗り越えたな〜」とか 「ターニングポイント来てませんけど?」 という方も中にはいらっしゃるのでしょうか。 それぞれですよね。 ちょっと前まで、この辛い時期を乗り越えることは、新しい環境に来たのだから当たり前の様に過ぎていったことです。(私が新人の頃?) その頃が楽だったわけではなく、同期とのサポートシステムが自然と出来ていたり、厳しい先輩達の中にも遊びに連れだしてくれて、仕事中もさりげなく守ってくれる先輩がいました。 最近ではどうなのでしょうか。 看護部の方では、この小さなターニングポイントに合わせてフォローアップ研修の企画や、離職対策に励んでいるところも多い様です。 こういう体制を整えて大事にされているという実感を得ることが必要ですよね。 でも実は本当に困っているときは中央の研修ではなく、仕事を実際にしている身近なところにいつも見方がいてほしいものです。 最近の新人さんの中には、同期と仲良くしているように見えても、サポートシステムとしての機能がない場合もあります。 自分が辛い思いをしていることを素直に表現できず、負け惜しみのようにその組織やスタッフを批判して退職を決断してしまうことがあります。 そういう時こそ先輩ナースの出番です。 日頃から情けない自分を表現できる関係作りをしておけば、同期の仲間に見せることのできないような自分を先輩ナースにさらけ出して乗り越えていけることも多いようです。 このブログを読んでくれている先輩ナースの皆様、この3、6、12ヶ月を意識して声をかけて下さいませ。 ちょっとした優しいアドバイスやねぎらいの言葉が新人さんを支えています。
こんばんは。LIBRANです。
さて、本日は看護診断についてのお話です。 皆様の病院では看護診断を使っていますか? 私は臨床にいたころ使っていましたが、まだ「〜の変調」という診断ラベルがあるころです。 だいぶ昔になってしまいました。 最近では電子カルテになっている病院は多いので、診断を選択すると標準看護計画があるので、それをプリントアウトすればもう看護計画の出来上がりです。 個別性を考えて追加すると完璧ですね。 看護診断を活用するときの注意点としてラベリングが当てはめにならないようにということがありました。 対策はどのようにとっていますか? 当てはめにならないためには、アセスメントにかかっていますよね。 学生のように長々と書くわけではありませんので、そのラベルが当てはめになっていないことを明確にするのはなかなか難しいものがあります。 記録も短縮化する方向ですし。 看護師は入院時に患者の情報を収集すると、だいたい問題となる部分が見えてくるものですよね。 看護診断は、その概念が説明されていますので患者に起きている問題となりそうな現象を捉えて、看護診断のラベルでぴったり合うものを使ってしまえば、それで診断と看護計画は出来上がってしまいます。 さて、当てはめでないことと、当てはめになっていることの違いはなんでしょうか・・・。 関連図を活用されている病院も多いようです。 でも、関連図に出てくる情報が偏っていると、当てはめに近いものになってしまいます。 やはり・・・学生時代に実習で頑張ったアセスメントが重要になってきますよね。 入院後に診断をつけた時点でまたは、さらに患者と信頼関係を築くなかで情報収集をすると見えてくる診断(再アセスメント)をしたときには、学生が何日もかかって出来上がらせる情報収集とアセスメントが、臨床でも看護師の頭に入っていて説明できることが重要です。 これが出来るようになったとき、看護師、専門職として一人前と言えるでしょうか。 アセスメントがしっかり出来ていれば、診断ラベルは妥当性が高いかもしれません。 成果分類や介入分類もありますので、なかなか複雑で難しくなっています。 (LIBRANもここまでくるとお手上げですね。) 出来れば診断に振り回されず、道具の1つとして活用したいですね。
お久しぶりです。
LIBRANです。 以前、私はNHKのプロフェッショナルが好きで見ているとブログに書きましたが、 またまた、思うところあって書きたいと思います。 先日のプロフェッショナルでは「鬼師」の方が紹介されておりました。 「鬼師」というのは、鬼瓦を作ることを仕事にしているかたです。 その鬼瓦は何百年も昔に作られたものを依頼されて、まったく同じものを再現します。 その「まったく同じもの」というのを、鬼師の方は「魂を写す」と表現されていました。 「魂を写す」ことをどのようにしてするのかという質問に対して 「自分を無にして、文化を残すこと、それが職人です。」と言われていました。 私が何を考えたか・・・ここまでくると、ナースのなかにはピンとくる方がいるはず。 看護師は相手を生かすこと(生命だけではないですよ)を仕事にしていると言っても過言ではありません。 患者さんを生かすために、患者さんを理解しようとするとき、看護師は自分を「無」にしていませんか? 自分の価値観で患者の言ったことを理解せず、ありのままの患者を理解しますよね。 観察技術として客観的に現象を捉えることは、主観を可能な限り排除すること。 自分を「無」にすることになります。 看護師もそういうことに関しては「職人」ぽいのかも・・・。 技術に関してもそうですが。 看護は科学でありアートであると言われていますが、自分という存在そのものが技であり、特に技術においては、その看護師の「手」が仕事の7つ道具の1つでもあるわけですよね。 職人かも・・・。(専門職ですが) 最近の看護の教育現場では技術のことが話題になります。 研修制度も必要ですが、技術を伝えていく方法について、もう少し考えて行きたいものです。
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